新幹線での移動中に読んでいた本に触発されて、そう思いました。

 

その本で書かれていたのは、「そのときにしか(その年齢でしか)書けないことがある」といった内容ですが。

 

30歳のときに一生懸命に書いたことは、30歳の自分での正解。

 

それはそれで意味がある。

 

45歳のときにはまた一生懸命書く。それは45歳の自分が辿りついた正解。

 

45歳になってから、30歳の正解内容を書こうとしても、書くことはできない

 

といったことです。(※)

 

 

自分もブログなどで、「一生懸命に、そのときの感情を書く」とか、直接的に取り入れることができそう。

 

ですがそれだけでなく、体験することや考えること、やってみることも、そのときに一生懸命やることには価値があるのでしょう。

 

人間は楽をしたい生き物ですから、ともすると「明日でいいや」「また別の機会があるでしょう」なんて思ってしまいがち。

 

そうなったときでも、

 

一生懸命にやると、そのときなりのゲイン(得るもの)がある → 一生懸命やらないのは、むしろもったいない

 

といったことを思い起こして、やってみるようにしたい。

 

 

(※)実際には、こういうふうに書かれていました↓

 どんな内容でも、今、この気分の間でしか書けないことがあるのです。

 

 たとえば、30歳の時に書いた本は30歳の時に一生懸命だったことを書いています。

 

 それを今、もう一度書けと言われても、書けないのです。

 

 これはクオリティーの上下の問題ではありません。

 

 今一生懸命になっていることは、今書いておきます。

 

 そうしないと、来年では書けなくなります。

 

 その意識があるから、今の写真を必死で撮っているのです。

 

 それが今、私が書いていることです。

 

 来年書いたら、まったく違うことになっています。

 

 ひょっとしたら、真逆のことを言っています。

 

 それでいいのです。

 

 今、真逆のことを言ったとしても、どちらも正解です。

 

 その時点での正解は、1個しかありません。

 

 30歳のときの正解は、30歳の時でしか思いつかない正解です。

 

 今の年齢での正解は、今の年齢でしか思いつかない正解です。

 

 時間をかけて探すものではありません。

 

 正解は、常にこの瞬間にあります。

 

 すべての時間の中に、正解があります。

 

 正解は、たくさんあるのです。

 

自分を変える 超時間術(41 昨日の写真は、撮れない。)